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TDJ活動レポート

第14回 飛騨高山ウルトラマラソン ~限界突破の100km~ 2026年6月14日(日)

Last Update:2026年8月1日New

TDJ活動レポート 2026年6月

飛騨高山ウルトラマラソンに挑戦しました。今まで「100キロはありえない」と思っていたのですが、無意識のうちに「できない」と決めつけている自分に気づき、TDJ活動以外に個人目標として「限界突破」を掲げて、歴史ある街並みから山岳地帯を走り抜ける日本屈指の過酷なコースに挑みました。

前日は不安と緊張で眠れず、4時間程度の睡眠で当日の早朝を迎えました。天候は曇りで霧が発生しており視界不良の状態でしたが、風がなかったのでやや肌寒い感じでした。午前4時50分に飛騨高山ビッグアリーナをスタート。3.5キロ付近では、江戸時代の城下町の面影を残す町並みを駆け抜けました。

そのまま緩やかな上り坂を走って美女高原を走り抜け、第一関門の 道の駅ひだ朝日村 に到着。よもぎうどんと火畑そばをいただきました。

30キロ過ぎから再び登り、40キロ手前でコース最高地点の1,010メートルを超え、第二関門の 岩滝公民館 に到着。さるぼぼクッキーと飛騨高山温泉まんじゅうをいただきました。ここから先は概ね下り坂でしたが、ペースを上げ過ぎないよう注意しながら走りました。雲の切れ間から陽射しが少し降り注いできました。

順調に走り続け、ついに第三関門の 丹生川支所 に到着。スタートして56.7キロ地点、残すはフルマラソンの距離です。ここでは楽しみにしていたトマトそうめん、みたらし団子、飛騨牛をいただきました。

その後すぐに走り出したのですが、60キロ付近で動悸とめまいがして歩くこともままならない状態になっていました。DNFかも・・・と思いしばらく休んでいると治まったので、様子を見ながら歩き始めました。ここから先はコース最大の難所が待ち受けています。

千光寺へと続く いろは坂 のような激坂を他のランナーと励まし合いながら歩き、山門に到着。そこをくぐると本堂へと続く108段の石段が待ち受けています。手すりにつかまりながら必死で登り本堂に到着、エイドで休憩し再び下り坂を走り始めました。

67キロ過ぎ、メディカルランナーの方がいたので、声を掛けました。TDJのTシャツをアピールすると「時々見かけますよ」とのことで、かなり認知されているのだと思いました。足が上がらなくなってきた私に「ファイト~!」と声をかけ、颯爽と走り去っていきました。

後ろ姿を追いかけるように走り、第四関門の 国府B&G海洋センター に到着。梨打ち汁(豚汁)をいただきました。ここから80キロまでは平坦な道でしたが、その後は緩やかな上り坂(通称ラスボス峠)が10キロ続きます。天を衝くほどのコースに足が上がらず、ウォーキングの状態で必死に前へ進み、第五関門の 公文書館 に到着。清見サイダーをいただき、すぐに出発。ここからは時間との戦いです。

ゴールまで残り7キロ、この調子で行けば・・・と思ったのですが、95キロ付近で両ふくらはぎが一瞬で硬直し、身体を支えられず尻餅。長座の状態で動けなくなってしまいました。DNFかも・・・と思いつつ必死でマッサージして立ち上がると硬直が治まり、問題ないことを確認して再び走り始めました。

残り5キロですが足が動かず、果てしなく遠い距離に感じます。時刻は18時を過ぎ、制限時間と日没が刻一刻と迫るなか、メロスのように走り続けました。そして見えてきた黒いゲート。満身創痍の状態でテープを切りゴール、コースに深々と一礼して私の挑戦は幕を閉じました。

制限時間5分前、そして日没30分前。まさにギリギリでのゴールでした。

飛騨高山のコースは起伏が激しくかなりの高低差があり、累積高低差は2,500メートルを超えます。標高1,000メートルを超える地点や石段、さらには急坂などが多数存在する過酷な山岳コースです。この過酷さこそが飛騨高山の魅力であり、そこで一生に一度しかない「初ウルトラマラソン」を完走し、ウルトラマンになったこと。これは一生の宝物です。有意義で充実した時間を走ることができました。この経験は今後のTDJ活動だけでなく、私自身の人生にも必ず役立つと思っています。

一緒に走り、歩き、励ましあったランナーの皆様、声援を送ってくれた地元飛騨高山の方々、運営スタッフとボランティアの皆様、そして家族に厚く御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

阿部 宏志
日本糖尿病療養指導士
神奈川糖尿病療養指導士

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