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TDJ活動レポート

ホノルルマラソン2024 完走&完歩 2024年12月8日(日)

Last Update:2025年1月13日

TDJ活動レポート 2024年12月

私がTDJとしての活動を開始したのは10年以上前になりますが、当初から「ホノルルマラソンは夢のまた夢」であり、縁がないものと思っていました。しかし今年、幸運にもホノルルマラソンを走る機会に恵まれたため、参加しました。後で知ったのですが、今回の参加者はおよそ3万6千人、そのうち日本人は1万人とのことで、参加者の規模もさることながら、日本人の多さにも驚きでした。
前日にTDJメンバーで集まり懇親会。皆様一人一人がホノルルマラソンへの意気込みや目標を報告したのですが、私は「目標タイムは4時間30分前後」と宣言しました。

当日の集合場所はアラモアナセンターのサンタクロースの左側だったのですが、前日にしっかりと場所を確認したのに暗くて分からず、やむなく1人でスタート位置に入りました。午前5時の号砲とともに花火が打ち上がり、大会を盛り上げます。

天候も良く気温も高かったため、十分な暑さ対策、そして足攣り対策をして臨みました。アラモアナ通りからダウンタウンを抜けカピオラニ通りに入り、5キロを通過。既に全身に汗がまとわりついており、エイドステーションでの水分補給を心がけました。その後はワイキキビーチを右手に走り10キロ通過。カピオラニ公園の脇を抜けてダイヤモンドヘッドに向かいます。アップダウンが激しい区間となりますが、無理しないペースで走ることを心がけました。そして18キロ付近からはカナニアナオレハイウェイを走ります。ここはすれ違いのコースなので、メンバーとハイタッチできるかも・・・と思い、コースの内側を走りました。
スタートからおよそ2時間後、21キロを過ぎた時点でようやく日の出の時刻になりました。ここからは暑さとの戦いが本格的に始まる・・・と思ったのですが、太陽は雲に隠れていたため、まだまだ余裕でした。ハイウェイの往路ではメンバーを見つけることができなかったのですが、往路では何人かと手を振り合い、そしてハイタッチしてパワーをもらいました。

 30キロを過ぎた頃からついに雲に隠れていた太陽が顔を出しました。気温も上昇していきます。エイドステーションで水分補給のほか、身体に水をかけて冷やして暑さ対策をしました。しかしそれでも身体の異変を感じたため、ややペースを落として走りました。両足の違和感をこらえながら必死で走ります。反対側を走っているメンバーに気を配る余裕もなかった頃、35キロ地点で反対側から「阿部さ~~ん!!」と呼ぶ声が。声のする方向を見ると、南先生でした。必死で手を振り、パワーをもらいました。
 35キロを過ぎて再びダイヤモンドヘッドへ向かうアップダウンの難所に向かいます。しかしその途中、38キロ地点でついに両足が痙攣してしまいました。ホノルルの暑さ、恐るべし。両足が硬直して動けなくなったのはわずかの時間だったので、スロージョグ&ウォークに切り替えてゴールを目指しました。右手にダイヤモンドヘッドと虹を見ながら、ひたすら進みます。現地の方もメッセージボードで応援してくれました。

スロージョグ&ウォークを繰り返し、ついに見えてきた 26MILE の看板。残りは0.2マイルです。

最後くらいはしっかり走ってゴールしたいと思い、スピードアップして走りました。しかし左足が痙攣し、引きずるような恰好となったところに、後ろから来た白人男性のランナーが肩を貸してくれました。そのまま一緒に20mほど走り、「 Thank you !! 」と言ってお互いの健闘を誓い、別れました。本来なら1秒でもタイムを縮めたいはずなのに、他のランナーを助けてくれる・・・そんな素晴らしい経験をしました。
ゴール直前、右手に Team Diabetes Japan の旗を掲げたメンバーがいることに気付き、大きく手を振って応え、最後の気力を振り絞ってゴール。コースに一礼し、フィニッシャーTシャツと完走メダルをもらい、メンバーの元へ。

マラサダとバナナを食べ、水分補給もしながらコース脇で他のメンバーおよびランナーを応援しました。全員が完走&完歩してから、記念撮影。夜は懇親会&打ち上げパーティーを行いました。

今回のホノルルマラソンですが、意義のある充実した活動をすることができました。また、とても楽しい期間を過ごすことができました。

一緒に走り、歩き、応援してくださったTEAM DIABETES JAPANの方々および海外のランナー、声援を送ってくれた地元ホノルルの方々、運営スタッフとボランティアの皆様、そして家族に厚く御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

阿部 宏志
(日本糖尿病療養指導士)
(神奈川糖尿病療養指導士)

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